記憶がない

記憶力がべらぼうに弱いらしい。そういえば学生時代も社会や理科などの科目は苦手だった。数学の公式も覚えられない。英単語もいまいちだ。それでも勉強はそこそこできた。良く言えば理論派というか、根幹(というやつが中学や高校の学習において存在したらば)をつかむのが得意だった。そこにまとわりつく知識はすぐに忘却の彼方だ。学業に限らず、あらゆることを忘れる。ちょっと労働に励んだだけでいろんな言葉を忘れた。こないだは蓋然性の意味をど忘れして調べた。情けない話だ。

フリーターとして過ごした二年間ほどのあいだ保険証を持っていなかった。年金も国民保険もなにも払わない、とんだフーテンだなあと思う。普通運転免許も持っていないから、じぶんがじぶんであることを証明するには、役所で記憶を照合するしかなかった。住んでいる場所、父母の名前、生年月日、親がちゃんと日本国民として登録してくれていた内容に縋ることで住民票を得、その住民票を印にしないとじぶんは喋る肉塊という称号しかつかない。これはなかなかに怖かった。他人から見てじぶんは、なんとか人のかたちをしているが、概念的には木っ端微塵なのだ。あと記憶力が弱いから父母の誕生日まで訊かれていたら非常にまずいことになっていたと思う。金があってもiPhone5sなんかはまず手に入らない。金もなかったからiPhone5は手に入らなかった。

記憶があればじぶんを証明できるというのも恐ろしい。じぶんは警戒心がドードーくらい薄いので、両親の名前なんて訊かれればすぐに答えてしまう。似顔絵を描かれて似てなかったことがないほどシンプルでわかりやすい顔をしているので、これも唯一性のないものだから、やっぱりじぶん以外の人間がじぶんを騙ることは簡単に思う。騙るメリットの無さだけがじぶんを守っている。SNSでも有名な人たちは偽のアカウントが登場したり言ってもないことを言わされたように偽装されたりでもみくちゃだ。言ったの言わないのでしっちゃかめっちゃかしている。

交換可能性という言葉がある。ここにたどりつくまでに話が長くなりすぎて眠いので寝る。レビューも書きかけ、書きたかったことも書きかけ。仕事を残したまま寝る訓練をすることも大事だと労働に従事してよくわかったのだ。