バズるのはたぶんムリ

じぶんは音楽や文学やが好きなのでレビューをしようと思った、ということは先日書いた。参考になればと思って流行りのウェブマガジンを読んでみたが、あれはじぶんには書けないと思う。はっきり言って内容などどうでもいいのだ、バズるには文体がネット仕様になっている必要がある。ネットで読まれる文章はじぶんの書きたい・書ける文章とこうも違うのかと驚いたし、正直くだらないなと思った。それでもやる必要があるのかどうか、そればかり考えている。文体模写は得意だ。一読で別な内容をかなり寄せて書くことができると思う。いきなりあのウェブマガジンを丸投げされても、たぶんしばらくはバレない。そのキモさにじぶんが耐えられればの話だ。じぶんはじぶんの文体を守ったうえで中身のあるものを書きたいし、そうすることでしか救われないと思う。抽象的な意味で、いまやるべきことは時代や状況を「やり過ごす」「しのぐ」ことただそれだけなのだが、その方法がおもねることなのかじっとしていることなのか、はかりかねる。

飲食店で店長のようなことをしている。月の労働時間は300時間を超えている。休みの日は疲れてほとんどなにもできないことも多い。内容のあるものを書くために研究したり取材したりすることもままならない。なにかの役に立てばと思ってウェブサイトを作れるようになろうと勉強をはじめた。wordpressができれば転職もすこしは楽になるだろうと思う。まずは労働時間を減らすために転職するのか、いまいる会社で労働時間が減るのを待つのか、がんじがらめにメンタルを削られる状況だ。なにをやろうとしても枷が働く。じぶんはただ穏やかに暮らしたいだけで、とくに大金持ちになりたいわけでなく、そもそもたいして欲もないから自然に慎ましく暮らせる。じぶんとその家族の暮らしがあるていど守られればなにも要らない。音楽を聴く時間と本を読む時間、それからそれらを創る時間を確保できるのが一番理想だ。どうして他人の底知れない欲望にじぶんの理想が食い潰されねばならないのか甚だ疑問だ。

このところ働きすぎからか不寛容な気分になっていてよくない。どうしのぐか、どうやり過ごすか、時間をかけて縄をほどくしかないらしい。