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初めまして、から書き始めると敬語になってしまうのは呼びかけの言葉だからだろうと思う。ただダラダラ書こうと考えているので敬語にはしない。スケトーダラと名乗ることにした。魚になりたいと思ったことがある。あまり熱心に思ったわけではないし、SNSなどインターネットにじぶんを表明するときはいつも本名を明かしていたが、なんとなくハンドルネームを持ってブログをやりたいと思ったとき一番に思いついたのがスケトーダラだった。

ついせんじつ娘が生まれた。生まれたときから愛らしいが日に日にその魅力が増す。これは彼女の変化ではなくじぶんの心の動きによるものだろう。こう話すと妻は不思議そうな顔をした。不思議だろうなと思う。彼女らは生まれる前から深い関係にある。体が繋がっていて、物質としての手触りというか触感というか、そういうものを互いに感じていただろうと思う。じぶんは男なので、そういうものに非常な憧れがある。妊娠してみたいと思う。じぶんは男として生まれたから永遠に生まれる側なのだと思うと切ない気がする。こういう、生物学やら化学やら物理学やらにおける絶対のものは避けがたくじぶんの眼前に横たわり、四方を塞がれてしまう気分になる。たまらなく愛おしいというきもち、文学も理由も歌も必要としない愛おしいというきもちは手に入らないのだろうかと思う。現状、文学や歌を通して手に入る愛おしさだけでも満足ではあるのだが、手の届かないところにある花を見つけてしまう悲しみは生涯かかえ続けることだろうなと思う。

高校時代じぶんに日本史を教えてくれた先生が言うには「学問の王様があるとすれば物理学」だそうだ。この人はなんの権威でもない(いちおう奈良県の歴史に関する書物の編纂に名を連ねたのでなにかしら偉いのかもしれない)が、とにかく歴史が好きだった。それからうまい豆腐とうまい醤油とうまい焼きのりが好きだった。学力の低い高校だったためか先生はうまい豆腐の選び方やいい伴侶の選び方などばかり教えて日本史はぜんぜん教えなかった。おかげでじぶんは日本史がからっきしダメで、校内唯一の有名私大を志望する生徒だったのに落ちた。

じぶんの人生の汚点を人のせいにしたくて書いたのではない。そもそも汚点とも感じていない。じぶんはその先生に出会えたことを幸福に思うし、志望校に落ちてすべり止めの大学に進学したことも幸福に思う。じぶんにとってじぶんにあるものがすべてでそれを幸福に思えることはやはり幸福である。歴史を愛した先生はいまなにをしているだろう。そもそも生きているんだろうか。じぶんが卒業してすぐに定年退職の年だったはずだからもうすぐ10年になる。先生はいつも「歴史は進むのだ〜〜」と言っていた。じぶんはこれが好きだった。歴史は進むのだ、歴史は進むのだ。これは無知だったじぶんにとってなにか革命のようだった。嘘だ、それほどの衝撃の衝撃ではない。しかしたしかに蓄積するのだ。歴史は進むのだ。先生はいまの日本をどう思っているだろう。じぶんは日本史に明るくない。先生はよく知っているはずだ。どの陣営がじぶんらのために歴史を歪めようとしているか、ということを。

話がどんどんきなくさい方向へ行きそうなので寝ることにした。毎日書けたらいいなと思う。