文体

じぶんの文章を読み直して、やっぱり、と思った。じぶんは子どものころからずっと読書が好きで小説ばかり読んでいた。だからやっぱりじぶんの文体は小説用にできている。思ったことを綴りたいだけなのに小説チックになってしまう。これは困ったことだ。できたら社会派ブロガーになりたかった。社会派ブロガーになってなにかの機会にSNSとかでバズってアフェリエイトで稼ぎたかった。SNSとかでバズってアフェリエイトで稼いで、たいした知識も見識もないのに社会派をきどって偉そうなことを書いては炎上してじぶんは社会にたいしてなにか言っているような気分になって、全能感に浸ってみたかった。残念ながらじぶんの文体はどこまでも内省的らしい。バズればいいのになあ。

小説が好きで文学部を志望した。志望校もすべり止めも文学部しか受けなかった。文学部を卒業する優秀な学生は雑誌の編集やライターに就く。あるいは国語の教師になりたくて文学部に入る。落ちこぼれたちはぜんぜん文学とは関係のない職に就いて、たいてい燻る。会社にも社会にも違和感がある、あるいはもっとミクロな人間関係の軋轢に苛まれ、歯がゆい思いをしながら生きていく。じぶんはその典型で、大学を卒業してから小説を書きたいきもちからフリーターになり、計画性もないくだらない人間ゆえに恋人を孕ませてアルバイト先にそのまま就職した。じぶんはくだらない人間だと思う。くだらないことは嫌じゃない。人はみんなくだらないし、くだらなくてからっぽであることは美しいと思う。ああもっとくだらないことを書きたいのに。じぶんのなかに切迫したものがあると書かずにはおれない。あと月々300時間も働いていると思考も鈍るし語彙力も低下するしで本当にいいことがひとつもない。要するに300時間も働いているばかげた状況を脱したいからブログがバズらないかななんて思っているということだ。

転職を考えてはいるがなにしろ就職活動がとことん下手だ。履歴書が弱い。バカヤロウ、こんな紙切れで人ひとりの良し悪しがわかってたまるかというきもちがある。一度きりの面接で人生左右されちゃたまんないぜというきもちがある。人はみんなくだらないということを忘れて、人が人を選び、あたかも優れているかのように振舞うことがキモい。「キモい」のだ。じぶんにとって「キモい」という感覚はじぶんの人生を大いに妨げる。媚び諂うことはキモい。あとラーメン屋を行脚してまわりいちいち評価をつけることもキモい。それからインチキ健康志向もキモい。ブログがバズったらじぶんにたいしてキモいなと思うだろうし、そもそもバズるって言葉はかなりキモい。キモいことが多すぎて喋るのが下手になった。こないだ面接を受けた会社では、文章を構築するのが上手いなら話すのも上手いはずだ、という旨のことを言われて、バカじゃないのかと思った。話すということと書くということは根本的にまるで違う。言葉を使うという点だけが共通する。大豆を使って醤油を作るか豆腐を作るかってくらい違う。

一日のうちにコマ切れの少ない自由時間で書くと短い文章のなかで話題があちこちに向く。これは勘弁してほしい。社会派ブロガーへの道は遠い。